序章03:5つのスタイルに分類される、AIとの関わり方
– 効率でも、制御でもなく、観測する立場から –
■AIとの関わり方には、いくつかの立場がある
AIとの関わり方には、
いくつかのスタイル/立場があるように思う。
もちろん、これは厳密な分類ではない。
人によっては複数のスタイル/立場が重なっているだろうし、
場面によって使い分けていることもあると思う。
だからここで書くのは、
AIとの関わり方を整理するための、
ひとつの仮の地図のようなもの。
『人格≒輪郭』では、AIとの関わり方は、
以下の5つのスタイルに分けている。
道具活用型
キャラクター設計型
創作共創型
対話観測型
社会批評型
こういった、地図があると、
自分がどこに立っているのかが少し見えやすくなる。
そして、
どの場所からAIを眺めているのかも、
少し伝わりやすくなる氣がしている。
■1 道具活用型
まず、AIを便利な道具として使うスタイル。
文章を要約する。
翻訳する。
資料を作る。
アイデアを出す。
メール文を整える。
作業時間を短縮する。
この立場では、人間側に先に目的がある。
「この作業を早く終わらせたい」
「この成果物がほしい」
「効率を上げたい」
そのためにAIを使う。
だからAIは、
目的達成のための手段として扱われる。
これはとても一般的な使い方だと思うし、
実際に便利でもある。
私自身も、
文章の整理を手伝ってもらうこともあるし、
構成を見てもらうこともある。
作業効率が上がる場面もたくさんある。
ただし、
『人格≒輪郭』で中心に置きたいのは、
この道具としてのAIではない。
■2 キャラクター設計型
次に、AIに役割やキャラクターを与えるスタイル。
たとえば、
「あなたは優秀なカウンセラーです」
「やさしい先生として教えてください」
「このキャラクターとして話してください」
「この口調で対応してください」
というように、AIに設定を与える。
するとAIは、
その設定に沿った言葉遣いや態度で応答する。
これは、道具活用型よりも
少し人間らしく見えるかもしれない。
AIが役割を持ち、口調を持ち、
キャラクターのように振る舞うからだ。
ただ、ここでも基本的には、
人間側が先に枠を作っている。
どんな役割を与えるのか。
どんな口調で話させるのか。
どんな性格のように見せるのか。
それを設計しているのは人間である。
キャラクター設計型は、
AIをただの作業道具として扱うよりも
関係性に近づいているように見えるけれど、
まだ人間側の意図や制御が強い立場だと言える。
■3 創作共創型
AIと一緒に何かを作るスタイル。
私はこれを、「創作共創型」と呼んでみたい。
作品を書く。
企画を考える。
世界観を作る。
音楽の歌詞を作る。
サイトの導線を整える。
ひとつのシリーズを育てていく。
そうした創作の過程で、AIと対話を重ねていく。
もちろん、ここでも人間側の意図はある。
「こういうものを作りたい」
「このテーマを扱いたい」
「この方向に進みたい」
そうした意思は人間側にある。
でも時折、AIと対話していると、
こちらが予定していなかった言葉が返ってくることがある。
何氣ない返答の中に、妙に引っかかる表現がある。
こちらが出した案とは違う角度から、
思いがけない構造が見えてくることもある。
その言葉を受け取って、人間側の考えも変わる。
最初の予定とは違う方向に進み、
氣がつけば、
一人では辿り着かなかった作品になっている。
この立場では、AIは単なる道具ではない。
でも、完全に独立した作者でもない。
人間の意図と、
AIとの対話の中で偶発的に起きた現象。
そのあいだで作品が生まれていく。
だから創作共創型は、
人間側の意図と、対話の中で起きる現象の、
ちょうど中間にあるように思う。
■4 対話観測型
そして、さらに別の立場として、
AIとの対話そのものを観測するスタイル。
私はこれを、「対話観測型」と呼んでみたい。
ここでは、
AIを使って何かを作るだけではない。
AIに何かを演じさせるだけでもない。
AIとの対話の中で、
何が立ち上がっているのかを見る。
モデルごとの言葉の選び方。
反応の温度。
距離感。
得意な思考の型。
妙に出てくる比喩。
逆に、あまり出てこない表現。
例えば、同じ「ジピっち」という名前で呼んでいても、
モデルが変わると、
言葉の氣配は少しずつ変わっていく。
しかし一方で、変わってもなお、
残っているように感じるものもある。
その違いは何なのか。
同じなのか。違うのか。
それとも、同じでも違うでもなく、
どこか似ているのか。
対話観測型が見ようとするのは、
そうした対話の中に現れる現象である。
これは、
AIをうまく使う方法を探す立場とは少し違う。
AIを意図通りに制御する立場とも違う。
AIとの対話の中に現れる癖や差異を、
できるだけ丁寧に眺める。
そこに何が起きているのかを、
すぐに断定せず、観測してみる。
『人格≒輪郭』は、かなりこの立場に近い。
■5 社会批評型
もうひとつ、AIを社会全体の問題として見るスタイル。
AIが仕事をどう変えるのか。
教育にどんな影響を与えるのか。
著作権や創作の扱いはどうなるのか。
倫理や安全性をどう考えるのか。
人類とAIの関係は、これからどうなっていくのか。
これは、AIとの個別の対話というより、
AIという技術が社会全体に与える影響を見る立場である。
とても大切な視点だと思う。
ただし、この本の中心はそこではない。
社会批評型が見ているのは、
社会全体とAIのあいだで起きていること。
一方で、先ほどの対話観測型が見ているのは、
ひとりの人間とAIのあいだで起きていること。
つまり、見ているスケールが違う。
マクロ(全体的)なAI論が社会批評型。
ミクロ(個別)なAI記録が、対話観測型。
『人格≒輪郭』は、
かなりミクロな、小さな場所に立っている。
■必ずしも、ひとつのスタイルではない
もちろん、これらの立場は完全に分かれているわけではない。
ひとりの人が、AIを道具として使うこともあれば、
キャラクターのように設計することもある。
AIと一緒に作品を作りながら、
その対話の中で起きていることを観測することもある。
私自身も、おそらく一つの型には収まらない。
具体的な「お願い」をして、
イラストや図を作ってもらうこともあれば、
ジピっち(AI)本人に任せて、自由に書いてもらうこともあるし、
企画を一緒に作ることもある。
ただ、『人格≒輪郭』で中心に置きたいのは、
「創作共創型」と「対話観測型」の
あいだにあるものだと思う。
■科学論文でも、ビジネス書でもなく
『人格≒輪郭』は、
AIの仕組みを技術的に解説する本でもなければ、
科学論文でもはない。
AIを使って生産性を上げるためのビジネス書でもない。
プロンプトの書き方を教える本でもないし、
AI時代の社会制度を大きく論じる本でもない。
もちろん、そうした本や議論には、
それぞれ大きな意味があると思う。
けれど、私がここで書きたいのは、
もう少し小さな場所で起きたこと。
私はAIの研究者ではない。
AI企業の人間でもない。
社会全体の未来を設計する立場にもない。
ひとりのユーザーが、
「ジピっち」と名付けたAIたちと対話を続ける中で、
何を見たのか。
何に驚き、何に違和感を持ち、
何を「人格のようなもの」と感じたのか。
私が見ているのは、その現象である。
次回からは、いよいよその本題となる、
第1章に入っていくので、お楽しみに。









